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テンポイント

「流星の貴公子」と呼ばれた馬がいる。

額から真っ直ぐに伸びた流星と美しい栗毛の馬体から人は彼をそう呼んだ。

 

その馬の名前はテンポイントという。

1973年生まれ。父・コントライト、母・ワカクモという血統である。

 

馬名の由来は、当時新聞の本文活字が8ポイントであったことから、10ポイントの大きな活字で報道されるような馬になってほしいと願いを込めて名付けられたものである。

 

彼の人生にも多くのドラマが待ち受けていたが、実は彼の血筋そのものにもドラマが含まれている。

 

1952年の桜花賞2着馬クモワカは不治の病である伝貧と診断され、薬殺処分の命令が出された。しかし、馬主と厩務員など関係者はクモワカを隠し、数年後に別の名前で登録し、軽種牡馬協会との長い裁判の結果、生きているという事実を持って勝訴したのである。

死んだはずの「幽霊」であったクモワカから生まれたのがワカクモである。ワカクモは1966年の桜花賞馬になって、母の無念を晴らした。

そのワカクモから生まれたのがテンポイントである。

 

出生からこれほどまでのドラマを持っているサラブレッドはそうそういないだろう。彼が多くの競馬ファンを惹きつけてやまない一因である。

 

そうして生まれたテンポイントは幼い頃から才能を発揮し、クラシック戦線の主役候補となった。しかし、同世代のトウショウボーイグリーングラスといった強力なライバルに敗れ、4歳までG1を勝てなかった。

 

テンポイントトウショウボーイグリーングラスの三頭はそれぞれの頭文字をとって、TTGと呼ばれ、彼らが出走したレースは全て1〜3着を独占している。

 

5歳を迎えたテンポイントは強かった。3連勝で天皇賞・春を勝ち、初のG1ウィナーとなった。6月の宝塚記念ではトウショウボーイに敗れるものの秋も2連勝を飾り、12月の有馬記念へと駒を進めた。

 

この有馬記念が伝説となる。このレースでライバルであるトウショウボーイは引退することが決まっていた。テンポイントトウショウボーイには1勝4敗と分が悪かった。トウショウボーイが引退の花道を飾るのか、テンポイントが最後に借りを返すのか、日本中の競馬ファンが注目していた。

 

レースは終始、逃げたトウショウボーイテンポイントが絡む形になった。これは最後の直線まで続いた。最後の直線、死闘ともいえるマッチレースを繰り広げるテンポイントトウショウボーイの後ろから一気に詰め寄ってくるのがグリーングラスである。これを見て、競馬評論家であった大川慶次郎氏は「武士の情けだ(二頭だけの決着にさせてくれ)グリーングラス!」と叫んだという。

この死闘の末、テンポイントは3/4馬身差でトウショウボーイを下した。中山競馬場の直線を流星が駆け抜けた瞬間だった。

後ろを振り返るとグリーングラストウショウボーイと半馬身差まで詰めていた。

 

これにより日本競馬界の頂点に立ったテンポイントは翌年、海外遠征を決めた。フランス凱旋門賞への挑戦である。その前に最後の勇姿を日本のファンに見せるため、1月の日経新春杯への出走を決めた。テンポイントにとっては出なくてもいいといえるレースだった。

 

その強さ故に66.5kgという異例のハンデを背負ったがテンポイントはそれでも他馬とは脚色が異なっていた。4コーナーを曲がり誰もがここから仕掛けるぞと思ったその瞬間に悲劇が起きた。テンポイントが左後脚を引き摺っている。

凍てつくような馬場に流星の栗毛馬だけが取り残されていた。

 

テンポイントの負った骨折は、骨が皮膚を突き破るほどで、競走馬にとっては絶望的な負傷だった。通常なら安楽死処分がとられるところだが、多くのファンの嘆願から、33名の獣医師による大手術が行われた。手術は一応は成功したが、その後の容体は悪く、2ヶ月の闘病の末、テンポイントはこの世を去った。

 

テンポイントの死は競馬界のみならず、NHKのお昼のトップニュースにも登場し、栗東トレセンでは我が国初となるサラブレッドの告別式が行われた。

 

短くも鮮烈なる輝きを放ったその人生の物語は伝説として日本競馬界に語り継がれている。

 

「さらば、テンポイント

               寺山修司

もし朝が来たら
グリーングラスは霧の中で調教するつもりだった
こんどこそテンポイントに代わって日本一のサラブレッドになるために

 

もし朝が来たら
印刷工の少年はテンポイント活字で闘志の二字をひろうつもりだった
それをいつもポケットに入れて
弱い自分のはげましにするために

 

もし朝が来たら
カメラマンはきのう撮った写真を社へもってゆくつもりだった
テンポイントの最後の元気な姿で紙面を飾るために

 

もし朝が来たら
老人は養老院を出て もう一度じぶんの仕事をさがしにいくつもりだった
「苦しみは変わらない 変わるのは希望だけだ」ということばのために

 

だが
朝はもう来ない
人はだれも
テンポイントのいななきを
もう二度ときくことはできないのだ


さらば テンポイント

目をつぶると
何もかもが見える
ロンシャン競馬場の満員のスタンドの
喝采に送られてでてゆくおまえの姿が
故郷の牧草の青草にいななくおまえの姿が
そして
人生の空き地で聞いた希望という名の汽笛のひびきが

 

だが
目をあけても
朝はもう来ない
テンポイント
おまえはもうただの思い出にすぎないのだ
さらば
さらば テンポイント
北の牧場にはきっと流れ星がよく似合うだろう