書を捨てよ、ブログを書こう

日々のあれこれを書いたり書かなかったりするブログ

所信表明的なもの

そうだ、ブログを書こう!という感じで突然ブログを始めようと思ったのだが、そもそもブログとはなんぞやと思ったので調べてみた。

 

「webにlogする」という意味のweblogの略語がブログなんだとか。知らなかった。また1つ賢くなってしまった。

 

とりあえず卒論やらなんやらも無事終わり、あまりにも暇になったので学生生活最後になんかやろうと思って始めてみた次第だ。

 

誰に読んでもらうわけでもないのに「まず、タイトルが重要だ」という思考に至り、タイトルで小一時間悩んだ。なかなかしっくりくるものが思い浮かばず、本文を書くまでもなく挫折を味わうところだった。

 

結局、部屋にある本棚を眺めていたら、僕の好きな歌人である寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』が目に留まり、それをもじっただけのタイトルになってしまった。寺山さんには申し訳ない。発想力が足りない。

 

タイトルの意味について少し書く。

 

「書を捨てよ」という割には寺山さんは読書家であったようで、「書を捨てる」という選択をするには、どうやら「書を読む」必要があるようだ。

 

これは他の物事にも通じることで、例えば、僕は「貝類が嫌い」だ。すごく嫌いだ。お世辞にもおいしそうとはいえない見た目が気持ち悪い。

 

でも、これは産まれた時から嫌いであったわけではなく、僕がかわいいかわいい幼稚園児だった頃給食で食べたあさりを吐いたトラウマにより、僕は貝類全般が嫌いになった。

 

食べてみるということを経験して、はじめて「貝類が嫌い」という選択をとることができるのだ。

 

簡単に言うと、「食わず嫌い」もとい「やらず嫌い」はやめようという話だ。『書を捨てよ、町へ出よう』というタイトルへの自分なりの解釈だ。

 

僕も最終的には「書を捨てて」、自分の言葉でこのブログを表現ができるようになればと思ってつけたタイトルである。少し書くとか言った割には長文になってしまった。

 

さて、そんなタイトルのブログに何を書こうかという問題だが、

 

充実した日々の中で感動したこと、印象に残ったこと、素晴らしい体験をしたこと、などではなく、

 

僕が頭の中で妄想したこと、僕の好きな小説家やアーティストがいかに素晴らしいか、プロ野球の愚痴、競馬で負けた怒りなどをこのブログに吐き散らかそうかという所存である。ちなみに筆者は22歳である。22歳にして野球と競馬が趣味とは果たしていかがなものか。

 

まあどんなことにせよ頭の中で考えていたり、心の中に留めておくだけじゃ忘れちゃうようなことをちゃんと文字という形にしてどこかに残そうという試みだ。

 

僕の好きなバンドであるamzarashiの秋田ひろむがあるライブの最後のMCで「言いたいことは言うべきです。どんな状況においても。」と言っていた。

 

どんな状況においても言いたいことを言える人などいるのだろうか。

 

嫌いな人に向かって、「嫌いだ」と言えば、当然相手は傷つく。好きな人に向かって「好きだ」と言ったとしても、相手から望んだ答えが返ってくるとは限らない。

 

ほとんどの人は不安であったり、プライドであったり、人間関係のしがらみに囚われて、言いたいことの半分も言えていないのではないか。

 

別にそれが悪いことだと言いたいわけではない。

 

皆何かしら伝えきれなかったことを抱えて、悶々としながら、それでも毎日生きているんだと思うと、急に人が愛しくなる気がするのは僕だけだろうか。

 

道ですれ違った高校生であったり、終電で出会った酩酊のおっさんにさえも「頑張ろうな」と声をかけてあげたくなる、気がする。

 

初回はこんな感じにしておこう。

 

つらつらと書いたが、一番の目的はブログを書くことでシンプルに自己満足感を味わい、部屋で一人、達成感に浸るということです。

 

おしまい。