書を捨てよ、ブログを書こう

日々のあれこれを書いたり書かなかったりするブログ

HOT HOLIDAYS

まるで世界の終わりがきたかのような今日この頃だが、僕の休日は熱気に溢れている。

 

それは「競馬」があるからだ。プロ野球Jリーグといったスポーツが軒並み中止になる中、この競馬というスポーツだけは無観客ながらも必ず毎週、僕に楽しみを届けてくれる。

 

大学生は暇に明け暮れ、社会人は土日なってもやることがないという今の状況だからこそ、競馬は溜まりに溜まった鬱憤を晴らす最高のエンターテインメントに成り得ると思う。

 

しかし、競馬をやったことはもちろん見たこともない人は何に注目して見ればよいのか。簡単に説明したいと思う。

 

まず、競走馬のかっこよさ、美しさだ。キラキラ輝く馬体はもはや芸術と呼んでも過言ではない。馬体だけで、どの馬を買うか判断してみてもよい。意外とそれが当たったりする。

そして、僕が競馬に一番魅了されている要因は、競馬がもつドラマチックさだ。どの馬も競馬関係者、そしてレースを見る観客の様々な思いを背負って走っている。その思いはもちろん破れることの方が多い、しかし、思わぬ形で叶うことがある。奇跡としかいいようがないようなレースが何度か競馬史上にはある。

 

5月末には日本競馬の最高峰といわれる東京優駿、いわゆる日本ダービーがある。この日本ダービーは非常にドラマが生まれやすい。

日本ダービーに参加できる馬は今年で3歳を迎える18頭の馬のみである。1年で7000〜8000頭生まれるといわれる競走馬の中で、ダービーに出れるのはたったの18頭なのだ。出走しただけでも拍手を送りたい。そんな選りすぐりの18頭がその世代の頂点を決めるレースが日本ダービーなのだ。

また、競馬関係者もこのダービーに懸ける思いは並々ならぬものがある。騎手の中には、「ダービーを勝てるならやめてもいい」という人もいるくらいだ。まさに、手に汗握る勝負と誇りの世界だ。

 

そのダービーが今年は5月31日にやってくる。今年の注目はなんといっても2頭だ。無敗の皐月賞馬「コントレイル」と皐月賞では惜しくも2着に敗れた「サリオス」である。果たして勝つのはこの二頭のうちどちらかなのか、それとも思わぬ伏兵なのか。終わってみなければ分からない。

 

みなさんもこの退屈な休日の選択肢の1つとして「競馬」を入れてみてはいかがだろうか。普段よりちょっとホットなホリデーを過ごせるだろうと思う。

 

パンデミックを生きる指針

https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic

 

なんか悔しくて涙が出そうになる文章であると同時に、僕の学んだ歴史学は無駄ではなかったと思えた。

 

ぜひ、多くの人に読んでほしい。

以下、印象的だった部分をいくつか引用する。

 

このように、悪いことはいくらでも想像できる。しかし、世界史の住人たちは一度として、危機の反省から、危機を繰り返さないための未来への指針を生み出したことがない。世界史で流された血の染み付いたバトンを握る私たちは、今回こそは、今後使いものになる指針めいたことを探ることはできないだろうか。

 

試されるのは、すでに述べてきたように、いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うかである。いかに、感情に曇らされて、フラストレーションを「魔女」狩りや「弱いもの」への攻撃で晴らすような野蛮に打ち勝つか、である。

 

危機の時代は、これまで隠されていた人間の卑しさと日常の危機を顕在化させる。危機以前からコロナウィルスにも匹敵する脅威に、もう嫌になるほどさらされてきた人びとのために、どれほど力を尽くし、パンデミック後も尽くし続ける覚悟があるのか。皆が石を投げる人間に考えもせずに一緒になって石を投げる卑しさを、どこまで抑えることができるのか。

 

教訓

 

・人生はなるようにしかなってくれない。

 

・自分に似合う場所は人それぞれにある。

 

・友達はいないと寂しいけれど、多ければいいってもんじゃない。

 

・人は突然死んでしまうから、後悔だけはないように付き合う。

 

・自分が楽しいと思うことや自分が好きなことは自分のためにやる。

 

・損得勘定だけで動く奴は信用しない。

 

・本当に辛かったら逃げるべきだ。

 

・借りはできるだけ作らない。作ってしまったら必ず返す。恩にも仇にも。

 

・自分自身が欠陥だらけなのだから、他人の欠陥をとやかく言わない。

 

・その時無駄だと思ったことでも、いつか自分の力になってくれることが多々ある。

 

・自分の弱音を受け止めてくれる場所を作る。

 

思いついたら書き足す

 

 

 

テンポイント

「流星の貴公子」と呼ばれた馬がいる。

額から真っ直ぐに伸びた流星と美しい栗毛の馬体から人は彼をそう呼んだ。

 

その馬の名前はテンポイントという。

1973年生まれ。父・コントライト、母・ワカクモという血統である。

 

馬名の由来は、当時新聞の本文活字が8ポイントであったことから、10ポイントの大きな活字で報道されるような馬になってほしいと願いを込めて名付けられたものである。

 

彼の人生にも多くのドラマが待ち受けていたが、実は彼の血筋そのものにもドラマが含まれている。

 

1952年の桜花賞2着馬クモワカは不治の病である伝貧と診断され、薬殺処分の命令が出された。しかし、馬主と厩務員など関係者はクモワカを隠し、数年後に別の名前で登録し、軽種牡馬協会との長い裁判の結果、生きているという事実を持って勝訴したのである。

死んだはずの「幽霊」であったクモワカから生まれたのがワカクモである。ワカクモは1966年の桜花賞馬になって、母の無念を晴らした。

そのワカクモから生まれたのがテンポイントである。

 

出生からこれほどまでのドラマを持っているサラブレッドはそうそういないだろう。彼が多くの競馬ファンを惹きつけてやまない一因である。

 

そうして生まれたテンポイントは幼い頃から才能を発揮し、クラシック戦線の主役候補となった。しかし、同世代のトウショウボーイグリーングラスといった強力なライバルに敗れ、4歳までG1を勝てなかった。

 

テンポイントトウショウボーイグリーングラスの三頭はそれぞれの頭文字をとって、TTGと呼ばれ、彼らが出走したレースは全て1〜3着を独占している。

 

5歳を迎えたテンポイントは強かった。3連勝で天皇賞・春を勝ち、初のG1ウィナーとなった。6月の宝塚記念ではトウショウボーイに敗れるものの秋も2連勝を飾り、12月の有馬記念へと駒を進めた。

 

この有馬記念が伝説となる。このレースでライバルであるトウショウボーイは引退することが決まっていた。テンポイントトウショウボーイには1勝4敗と分が悪かった。トウショウボーイが引退の花道を飾るのか、テンポイントが最後に借りを返すのか、日本中の競馬ファンが注目していた。

 

レースは終始、逃げたトウショウボーイテンポイントが絡む形になった。これは最後の直線まで続いた。最後の直線、死闘ともいえるマッチレースを繰り広げるテンポイントトウショウボーイの後ろから一気に詰め寄ってくるのがグリーングラスである。これを見て、競馬評論家であった大川慶次郎氏は「武士の情けだ(二頭だけの決着にさせてくれ)グリーングラス!」と叫んだという。

この死闘の末、テンポイントは3/4馬身差でトウショウボーイを下した。中山競馬場の直線を流星が駆け抜けた瞬間だった。

後ろを振り返るとグリーングラストウショウボーイと半馬身差まで詰めていた。

 

これにより日本競馬界の頂点に立ったテンポイントは翌年、海外遠征を決めた。フランス凱旋門賞への挑戦である。その前に最後の勇姿を日本のファンに見せるため、1月の日経新春杯への出走を決めた。テンポイントにとっては出なくてもいいといえるレースだった。

 

その強さ故に66.5kgという異例のハンデを背負ったがテンポイントはそれでも他馬とは脚色が異なっていた。4コーナーを曲がり誰もがここから仕掛けるぞと思ったその瞬間に悲劇が起きた。テンポイントが左後脚を引き摺っている。

凍てつくような馬場に流星の栗毛馬だけが取り残されていた。

 

テンポイントの負った骨折は、骨が皮膚を突き破るほどで、競走馬にとっては絶望的な負傷だった。通常なら安楽死処分がとられるところだが、多くのファンの嘆願から、33名の獣医師による大手術が行われた。手術は一応は成功したが、その後の容体は悪く、2ヶ月の闘病の末、テンポイントはこの世を去った。

 

テンポイントの死は競馬界のみならず、NHKのお昼のトップニュースにも登場し、栗東トレセンでは我が国初となるサラブレッドの告別式が行われた。

 

短くも鮮烈なる輝きを放ったその人生の物語は伝説として日本競馬界に語り継がれている。

 

「さらば、テンポイント

               寺山修司

もし朝が来たら
グリーングラスは霧の中で調教するつもりだった
こんどこそテンポイントに代わって日本一のサラブレッドになるために

 

もし朝が来たら
印刷工の少年はテンポイント活字で闘志の二字をひろうつもりだった
それをいつもポケットに入れて
弱い自分のはげましにするために

 

もし朝が来たら
カメラマンはきのう撮った写真を社へもってゆくつもりだった
テンポイントの最後の元気な姿で紙面を飾るために

 

もし朝が来たら
老人は養老院を出て もう一度じぶんの仕事をさがしにいくつもりだった
「苦しみは変わらない 変わるのは希望だけだ」ということばのために

 

だが
朝はもう来ない
人はだれも
テンポイントのいななきを
もう二度ときくことはできないのだ


さらば テンポイント

目をつぶると
何もかもが見える
ロンシャン競馬場の満員のスタンドの
喝采に送られてでてゆくおまえの姿が
故郷の牧草の青草にいななくおまえの姿が
そして
人生の空き地で聞いた希望という名の汽笛のひびきが

 

だが
目をあけても
朝はもう来ない
テンポイント
おまえはもうただの思い出にすぎないのだ
さらば
さらば テンポイント
北の牧場にはきっと流れ星がよく似合うだろう

そういう人になりたいぜ

『そういう人になりたいぜ』
 

涙こらえて立ちつくす

人の背中をそっと押してやる

どんな時だって優しい顔

そういう人になりたいぜ

 

「めんどくせぇな」って頭掻いて

人のために汗をかいている

それで「何でもねぇよ」って笑う

そういう人になりたいぜ

 

自分らしさ見失わず

人のこともちゃんと思いやる

人前で泣き言は言わないぜ

そういう人になりたいぜ

 

当たり前に心から笑えて

当たり前に日々を駆け抜けて

当たり前に疲れて眠ってる

そういう人になりたいぜ

 

さよならでも涙見せず

いつもと変わらないその笑顔

自分のことよりも人の心配

そういう人になりたいぜ

 

         amazarashi 秋田ひろむ

 

そういう人になれるかな

 

 

 

だいせんじがけだらなよさ

昨日のブログを書いていて、どうしても書き残しておきたい詩があるのでここに載せておきます。

 

寺山修司の作品です。

 

だいせんじがけだらなよさ』


うらないもしたけど
おまじないもしました
いろんなわけのわからない言葉を
言ってみるのです

魔よけ 災難よけ
そして悲しい事を忘れるための
さびしい時の口の運動

へんな言葉ほど
おまじないにはいいのです

 

私がよく言ったのは
だいせんじがけだらなよさ

 

どこの国の言葉だかわかりますか


だ・い・せ・ん・じ・が・け・だ・ら・な・よ・さ

 

さみしくなると言ってみる
ひとりぼっちのおまじない
わかれた人のおもいでを
忘れるためのおまじない
だいせんじがけだらなよさ
だいせんじがけだらなよさ

 

さかさに読むと
あの人がおしえてくれたうたになる

 

角川文庫の『寺山修司少女詩集』に収録されています。

一度読んでみてはいかがでしょうか。

 

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

  • 作者:寺山 修司
  • 発売日: 2005/02/01
  • メディア: 文庫
 

 

 

さよならだけが人生か

春は出会いと別れの季節だ。

僕は別れが訪れるたびに「さよならだけが人生だ」という言葉を思い出す。

 

しかし、今年は卒業式もなくなってしまい、さよならを言いたい人にも言えなくなってしまった。

 

「さよならだけが人生だ」という言葉は、井伏鱒二漢詩である『勧酒』を和訳した際に登場した。

 

『勧 酒』
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ

サヨナラダケガ人生ダ

 

もちろん僕はこの「さよならだけが人生だ」という言葉が好きなのだが、1つだけ気になる箇所がある。

 

それは、井伏さんがさよなら「だけ」と言い切っているところだ。

 

別れがあれば、必ずが出会いがあるとよく言うように、人生はさよならだけでできているわけではないと思う。

本当にさよならだけが人生か。

 

井伏さんのこの言葉を受けて、寺山修司は以下のような詩を作っている。

 

『幸福が遠すぎたら』

さよならだけが 人生ならば
また来る春は 何だろう
はるかなはるかな 地の果てに
咲いている 野の百合 何だろう

 

さよならだけが 人生ならば
めぐり会う日は 何だろう
やさしいやさしい 夕焼と
ふたりの愛は 何だろう

 

さよならだけが 人生ならば
建てた我が家は 何だろう
さみしいさみしい 平原に
ともす灯りは 何だろう

 

さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません 

 

別れがあれば出会いがあるように人生はさよならだけで語れるほど、単純なものではない。しかし、さよならの数が多いほど厚みを増していく気がする。

 

今回はあまり考えずに思ったことをつらつらと書いてしまった。

 

とりあえず言いたかったことは、卒業式くらいはやらせてくれ、そしてさよならくらい言わせてくれいうことだ。

 

卒業式がなくなったことで、もう二度と会うことのない人もきっとたくさんいる。そんな人たちと巡り巡ってどこかで再会できることを祈りつつ、新たな出会いに期待したい。

人生はさよならだけではないと信じて。